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ニ一会とは

二一会のご紹介

二一会のご紹介

「二一会」(にいちかい)は、大正8年(1919年)2月21日に設立した東京弁護士会内の会派(任意団体)です。

当時、弁護士登録2~3年目の若手弁護士らが発起人となって、法律と裁判制度の研究を進め、互いに切磋琢磨して理想の法律家となることを目的として団結し、東京弁護士会の会務の運営に寄与し、併せて親睦を図るために設立しました。
当初、「二十一日会」と称しましたが、商工会議所の実業団体に同名の団体があったことから、混同を避けるために、後に「二一会」と改称されました。
設立当初、志を同じくする若手弁護士総勢30ないし40名が参加したとのことです。

現在の二一会は、会員数500名超の会派です。
東京弁護士会及び日本弁護士連合会の会務運営を支える中核的な会派の一つであるとともに、若手弁護士を主体とした研究部を中心に法律研究・研修に力を入れて活動している点に特徴があります。
二一会は、単独の会派としても活発に活動していますが、東京弁護士会内において、法曹大同会、東京法曹会とともに、法曹親和会を構成しており、法曹親和会の一員として、東京弁護士会及び日本弁護士連合会の人事・政策について幅広い活動を行っています。

組織図

歴代幹事長一覧

年度氏名修習期物故者
昭和47年度(阿部 三郎)6物故者
昭和48年度(柴田  勝)5物故者
昭和49年度(笹原 桂輔)7物故者
昭和50年度(菅沼 隆志)8物故者
昭和51年度髙橋  勉 8 
昭和52年度(石黒 武雄)3物故者
昭和53年度服部 邦彦11 
昭和54年度(松浦  勇)10物故者
昭和55年度縄稚  登11 
昭和56年度(佐伯  弘)13物故者
昭和57年度原田 策司11 
昭和58年度(櫻井 公望)14物故者
昭和59年度(宮瀬 洋一)5物故者
昭和60年度小幡 正雄11 
昭和61年度(伊集院 實)14物故者
昭和62年度舟橋  肇15 
昭和63年度矢田英一郎16 
平成元年度西林 経博16 
平成02年度白井 正明17 
平成03年度堂野 尚志18 
平成04年度堤  淳一19 
平成05年度山内 堅史19 
平成06年度松原  厚21 
平成07年度菅野屋信宏19 
平成08年度柳瀬 康治21 
平成09年度高木  徹22 
平成10年度髙木  肇24 
平成11年度植松  功25 
平成12年度坂巻 國男24 
平成13年度吉野  徹28 
平成14年度小林 行雄28 
平成15年度藤村 義徳28 
平成16年度元田 秀治25 
平成17年度久江 孝二28 
平成18年度植草 宏一29 
平成19年度木下 秀三31 
平成20年度若松  巌36 
平成21年度林  史雄33 
平成22年度石田  茂38 
平成23年度蒲野 宏之33 
平成24年度関本  隆史35 
平成25年度橋本  敬43 
平成26年度厚井乃武夫40 
平成27年度木田 卓寿41 
平成28年度栗林  勉45 

谷村唯一郎・三上英雄両先生に聞く

二一会は、昭和五十四年二月二十一日をもって創立六〇周年を迎えた。現在は、会員が二八〇名余に達し、日本弁護士連合会、東京弁護士会の役員や各種委員会の委員となり、さらに最高裁判所判事、司法研修所教官や法制審議会委員などに就任されるなど、多方面で活躍している。

二一会は、発足以来、研究会活動が盛んであり、今日も判例研究、実務研究を定期的に開催し、会員の資質向上に務めている。

また、発足当初の溌刺たる革新精神は継承され、二一会内、さらに親和会といった会派レベルはもとより、東京弁護士会、日本弁護士連合会における会活動や役員人事をめぐって、主張すべきは主張し、譲るべきは譲るといった気風となって表れている。

そこで、二一会の創立者のうち谷村唯一郎・三上英雄両先生にインタビューし、編集委員会として調査したものを加えて、二一会創立の前後の模様をまとめてみた。

二一会の創立

明治四二年以来、東京弁護士会には、桃李倶楽部という多数派が支配体制を確立し、役員を独占していた。

これは、役員選挙が記名式投票であったところから、統一候補を謄写版などで印刷した用紙おを会員に渡し、そこに記載されているとおりに投票することを求め、会長、副会長、常議員の当選をはかっていたのである。

しかし、少壮会員の中に、私大に長老と確執が生じ、長老の言いなりに投票することに不満を抱くものが出て来た。

大正二年にそのエネルギーが常議員選挙の際ふき出し、多数の少壮弁護士が選ばれ、初めて常議員議長選挙が行なわれ、さらに中央大学において行われた大正五年の総会は、単記無記名式投票方法に選挙規定を改正することの是非をめぐって荒れ、検事正の警告まで受けるにいたるのである。

しかし、この選挙規定の改正はならず、桃李倶楽部はその後の役員選挙でも勝利した。

このような時に谷村唯一郎先生、三上英雄先生、吉沢直先生など後に、二一会の結成に参加された先生方が、大正六、七年の弁護士試験に合格し、東京弁護士会に入会、それぞれ長老の先生の法律事務所に所属されたのではあるが、すぐに、旧態依然とした役員選挙を経験し、全てが長老の先生方の方針に従い、その命令に従うというのではいけない、少壮なる者は、少壮の者同志で団結し、役員の選任を公正にし、弁護士会を良くしなければいけないということで仲間を集め、動き出した。

そして、大正六年の弁護士試験合格者が中心となり、法律と裁判制度の研究を進め、互いに切磋琢磨して理想の法律家となることを目的として団結し、東京弁護士会の会務の運営に寄与し、併せて親睦をはかるために、志を同じくする少壮の者が会を結成しようとしたのである。

この発起人に、谷村唯一郎先生、三上英雄、吉沢直の三先生と今は故人となられた作田高太郎、吉田敬直、佐藤博、山口直、松永東、小池義一、木本篤、鈴木喜三郎、一又安平、原田治郎などの先生方がなり、志を同じくするものの産科を保て、総勢三〇ないし四〇名であった。

そこで、大正八年二月二十一日に浅草雷門の大増で創立総会を挙行、その後の東京弁護士会の歴史の流れに深くかかわっていくこととなった。その時は、会の名称を「二十一会」と称した。しかし、商工会議所の実業団体の中に同名の団体があり、混同をさけるために後に二一会と改めた。

会長選挙をめぐって

大正十一年の役員選挙を機に、桃李倶楽部は、長老派と二一会、緑新会などの少壮派とに分裂して、同倶楽部内での会長候補者の選定と弁護士総会の選任議決とがこれまでとは異なり、円満かつ平穏の内に決まらず、議論沸騰した中で行われた。
長老派は岩田宙造先生を、小壮派は緑新会の乾政彦先生をそれぞれ会長候補に推して対立したが、五月二八日の弁護士会の総会において結局、乾先生が当選した。その時、二一会会員は営議戦で戦ったという。

長老派はこれだけでも深いであったのに銀座尾張町の松本楼において、会長に当選した乾政彦先生が「元老何をするものぞ。新しい時代が来た。古きものよ去れ」と趣旨の、長老派にとっては聞き捨てならない発言をした。ここらあたりから、おかしな雰囲気になったという。

そして、六月八日には、長老派は、桃李倶楽部からの脱退と「東京弁護士会」の設立を宣言したが、その年の十二月九日上の精養軒で開催された日本弁護士協会の総会における理事の選任に際し長老派は僅かしか選ばれず少壮派が多数を占めてしまい、決定的な打撃を受けてしまった。

一、二弁の分離

このような勢に乗った少壮派の動きに不満の長老派は、東京弁護士会から分離して、別の弁護士会を設立するため、弁護士法の改正を図った。「会員実に二千余の多きに達し、従って思想感情を異にするものに簇生し」たことを標語として別にもう一つの弁護士会を組織しようというのである。そして、弁護士法の第一八条「弁護士ハ其ノ所属地方裁判所毎ニ弁護士会を設置スベシ」とあるのを第二項として「一地方裁判所ノ所属弁護士三百名以上ニシテ内百名以上ノ同意アルトキハ司法大臣ノ認可ヲ受ケ二個以上ノ弁護士会ヲ設立スルコトヲ得」と加え、改正しようというのである。

これを知った二一会、法曹同志会などは「弁護士会分裂法案反対同盟」を結成し、法案反対のために檄を発するなど活躍し、この法案に反対する会員により臨時総会招集請求がなされ、その結果大正十二年三月六日に神田駿河台の明治大学記念講堂で開催された臨時総会は、騒然とした中で、ともかくも改正案反対の決議を通過させたのである。混乱のきわみ、賛成派だけが賛成の決議もしたという。

二一会の人事一覧
= 七十一周年から八十周年までの十年間 =

日本弁護士連合会
会長 平成四・五年度 安 部 三 郎
副会長 平成二年度 菅 沼 隆 志
副会長 平成六年度 佐 伯 弘
理事 平成二年度 舟 橋  肇
  平成三年度 矢 田 英一郎
  平成四年度 白 井 正 明
  平成五年度 堂 野 尚 志
  平成七年度 堤 純 一
  平成八年 山 内 堅 史
  平成九年 松 原  厚
  平成一〇年度 菅野谷 信宏
  平成一一年度 柳 瀬 康 治
監事 平成八年度 菅 重 夫
事務次長 平成六・七年度 柳 瀬 康 治

法定委員会委員長

資格審査委員会 平成四・五年度 阿 部 三 郎
選挙管理委員会 平成四・五年度 石 原 輝

特別委員会委員長・本部長・議長・会長

少年法「改正」対策本部 平成二年度 阿 部 三 郎
三社協議に関する合同会議 平成二・三年度 阿 部 三 郎
日弁連機構改革委員会 平成二・三・四年度 篠 原 千 廣
拘禁二法案対策本部 平成四・五年度 阿 部 三 郎
日弁連会館建設推進本部 平成四・五年度 阿 部 三 郎
最高裁判所裁判官推薦諮問委員会 平成四・五年度 阿 部 三 郎
司法改革推進本部 平成四・五年度 阿 部 三 郎
新会館竣工実行委員会 平成七年度 阿 部 三 郎
研修委員会 平成八年度 原 田 策 司
司法改革推進センター 平成八・九年度 菅 沼 隆 志
弁護士業務対策委員会 平成八・九・一〇年度 堤 淳 一
第一〇回弁護士業務対策シンポジウム運営委員会 平成九年度 堤 淳 一
「財団法人日弁連法務研究財団」設立実行委員会 平成九年度 阿 部 三 郎
第一七回司法シンポジウム運営委員会 平成一〇年度 菅 沼 隆 志
法律事務所法人化問題協議会 平成一〇年度 堤 淳 一
コンピュータ研究委員会 平成一〇・一一年度 高 野 真 人
第一一回弁護士業務対策シンポジウム運営委員会 平成八・九年度 堤 淳 一
関東弁護士連合会
理事 平成二年度 柳 瀬 康 治
常務理事 平成三年度 菅野谷 信 宏
理事 平成三年度 井 上 勝 義
常務理事 平成四年度 柳 瀬 康 治
理事 平成四年度 菅 重 夫
理事 平成五年度 新 津 勇 七
常務理事 平成六年度 松 本  博
理事 平成七年度 坂 巻 国 男
理事 平成八年 吉 野 徹
常務理事 平成九年 元 田 秀 治
理事 平成一〇年度 村 田 豊
常務理事 平成一一年度 吉 野 徹
東京弁護士会
会長 平成六年度 佐 伯 弘
副会長 平成二年度 山 内 堅 史
  平成三年度 松 原 厚
  平成四年度 柳 瀬 康 治
  平成七年度 高 木 肇
  平成八年度 植 松 功
  平成九年度 元 田 秀 治
  平成一〇年度 藤 村 義 徳
  平成一一年 吉 野 徹
監事 平成五年度 菅 重 夫
常議員会議長 平成七年度 小 玉 聡 明
親和会
幹事長 平成二年度 笹 原 桂 輔
    石 黒 武 雄
  平成五年度 菅 沼 隆 志
  平成八年度 佐 伯 弘
  平成十一年度 白 井 正 明
事務総長 平成三年度 植 松 功
  平成六年度 小 林 行 雄
  平成九年度 吉 野 徹
二一会
幹事長 平成二年度 白 井 正 明
  平成三年度 堂 野 尚 志
  平成四年度 堤 淳 一
  平成五年度 山 内 堅 史
  平成六年度 松 原 厚
  平成七年度 菅野谷 信 宏
  平成八年度 柳 瀬 康 治
  平成九年度 高 木 徹
  平成一〇年度 高 木 肇
  平成一一年度 植 松 功
研究部代表幹事 平成二年度 藤 村 義 徳
  平成三年度 小林行雄
  平成四年度 植 草 宏 一
  平成五年度 河 村 信 男
  平成六年度 木 下 秀 三
  平成七年度 大山皓史
  平成八年度 井 野 直 幸
  平成九年度 遠 藤 昇
  平成一〇年度 宇佐美 方 宏
  平成一一年度 金 井 重 彦
司法研修所弁護教官
就任年度 平成二年度 平 賀 睦 夫(刑事弁護)
  平成八年度 山 浦 善 樹(民事弁護)
  平成九年度 松 森 宏(民事弁護)
  平成一〇年度 植 松 宏 一(民事弁護)
  平成一一年度 久 江 孝 二(刑事弁護)
司法研修所所付
  平成八年度 大 木 卓
㈶日本調停協会連合会
理事長 平成九・六・四~平成一一・六・三 縄 稚 登